「熟成中のネタ」の育て方

「書きたい」と「書こう」の間

音声配信をしはじめて4ヶ月あまり。
毎日していた更新を数日おきにしている。
ファンもできていないのに、サボっていいのか?という想いと、話すのにしっくりこないのを無理に喋っても、という相反する思いで揺れる。
話すのにしっくりこない話題、というのは「書きたい」と思っているのに、まだ書けていない話題に似ている。
ぼんやりとはある。
なんなら15行ぐらいならすぐ書けそうだ。
しかし、それはまだ「概念」だったり「具体的すぎる出来事」であって、話せば2〜3分で終わり。
それを聴きたいというのは、話し手が有名人の時だけではなかろうか?


私は未熟な、悩みの途中のような状態でもSNSで出すことがある。
まさに前述のような話題のきっかけにすぎない何かだ。
私はそれに名前をつけておらず、以前ブログでは「熟成中のネタ」と表現した。

熟成中のネタは、思考の繰り返しで育つ。

概念を具体化していく。どんな状態になったら「書こう」になるのか、音声で話そう、となるのか。
具体的すぎる事柄は「抽象化」していく。思考を繰り返して育てていく中で、しっくりくるラインを探す。抽象度合いを強めすぎると、結局いつも同じ話になる。ハードルは音声の方が低く、文章にする方が高いと感じている。

なぜなら、「私」が引っかかった話なのだから。
私ならずっと同じ話は読みたくないし、聴きたくない。
だから、その抽象度合いも、自分の中のラインがある。

感覚の違いが「その人」を表す

この感覚の違いが、「その人そのもの」を表すのだろうと私は思っている。

私は直感型の性格だと考えている。
その一方で、他人からは「理論的な性格」と言われることが多い。
その見え方はなんなのか、よくわかっていなかった。
37歳ごろ、ようやく私は気づいた。
「常に無意識に物事を観察、分析している」のが私の普通。だから、そこに私の意図はなく、大きな意味も感じていなかった。
けれど、他人からはその部分が「理論的」に見えるのだ。物事に意味合いを感じ、それを理由に、何かを感じ取っているというふうに。
私は、自分の中に貯まった物事に対する分析の内容に従って、何かを「選ぶ」場面で「直感的」に選んでいる。
だから、私は自分自身を「直感」で生きてきた人間だと思っているのだ。

人は、自分が思うより自分のことをわかっていない。言語化しても、他人から見ると「別人」にしか見えないことすらある。
それでは、魅力は伝わらない。
人から見える自分、在りたい自分、現実の自分。そこには、「好き」や「得意」「価値観」など様々な要因が絡み合っている。

自分を表す言葉もまた、最初に出てきた「熟成中のネタ」と一緒で概念のみでも、具体的過ぎても見えてこない。
自分の中の引き出しをすべて開けて、考えることで、一歩進むプロデューサー力が発揮されるはずだ。ノートに引き出しの中身を出し切ってみよう。
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